てぃーだブログ › 沖縄探索 離れていてもできることだけ › 沖縄の歴史 › 国際通りの楽しみ方 閑話休題 美栄橋付近は塩田地帯?
ゆいレール美栄橋駅で降りたことはありますか? 改札を出て右です。そう、オキエー通りに向かうほう。
階段をおりると、ちょっとした広場? ここに 歴史の案内板があります。ちょっと眺めてみてください。
この辺は、海まで平坦な地形が続きます。川も交差しており。低地であることがわかります。川を見ていると満潮と干潮の差がはっきりわかります。この川に、ガザミ(渡り蟹)があがってくるのも有名です。季節になると、橋や、護岸のガードレールからロープが投げ込まれているのをよく目にします。あの先には、えさを入れた、蟹篭がついているのです。甲羅の幅20cmクラスも獲れるようです。橋を渡るときには注意してみてください。運がいいと引き上げてるところを見られるかも。。。
こうのように、海抜数mの低地帯は、昔は浅海面だったと前にも書きましたが、その浅い海を利用して盛んに行なわれていたのが、塩づくりです。
美栄橋から北は前島です。前島潟原(カタバル)は塩田で有名でした。この駅の直ぐ北側が潟原。直ぐ隣の、泊の塩田も有名だったそうです。海水を何度も撒いて、天日干し、砂と一緒に海水で煮詰め、上澄みを釜で炊く。海水が近くにあり、平地があることが条件なのですね。
昔の風景はどうだったでしょうか? ゆいレール、美栄橋から崇元寺までの直線レールの南側に並行するように道があります。これが長虹堤です。しっかり残っている数少ない部分なのですが、ここからの眺めは、すばらしかったに違いありません。
首里に向かっているとすると、右側は小高い峰のように緑が続き、左側は海が迫り、ところどころに海が迫り、船が静かに行き来し、手前の田園では、海水を撒く作業と、釜で塩を炊く煙が漂っていたのではないでしょうか? コバルトブルーの海と真っ青な空に白い雲。。。。夕方ならオレンジ色に染まった海と空。。。点在する小島(岩礁)。
やがて埋め立ても進み、農地にもなったかも知れません。間切りがおかれ農村を形成したかも知れないですね。前島はその後(明治以降)繊維関連の問屋街として発展します。問屋街を取り巻く地域に歓楽街が広がったことは想像できますね。58号線をはさんで多くの飲食店が並ぶ光景は、最盛期を過ぎさびしい感じですが、往年の輝きをところどころ感じるのは気のせいでしょうか。
いまでも、崇元寺から東に向かっていくと直ぐ、左右に古い建物があります。壁の文字をみると、昔の問屋さんであることがまだわかります。数少ない名残です。

タクシーに乗ったらオジードライバーに聞いてみてください。昔の前島どうだった? いっぱい話してくれますよ! 





同じカテゴリー(沖縄の歴史)の記事
沖縄料理?1 食材
沖縄料理?1 食材(2013-01-14 14:16)

沖縄(桜坂)の餃子
沖縄(桜坂)の餃子(2011-07-27 17:51)


 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。